ビッグデータと人工知能 ・・・ 可能性と罠を見極める

著者は、ソフトウェアの研究に携わってきただけに、議論は実務的である。
前評書(マレー・シャナハン「シンギュラリティ ・・・ 人工知能から超知能へ」)とは対照的に、シンギュラリティは「怪しげな幻想」であり、起こり得ないと切って捨てる。しかしその根拠は「コンピュータはプログラムによって動くのであり、たとえ深層学習でも基本部分はヒトによって書かれるのだ」といった程度の、説得力のあるものではない。「ある」派は、ヒトの脳のニューロンのネットワークをそのまま再現すればヒトと同じ「知能」が発揮されることを自明としおり、そのメカニズムを現在の人工知能技術の延長上には置いていないのだから、議論はかみ合っていない。ただ、私も現段階ではシンギュラリティ が夢物語であることには賛成なので、あまりこの問題を議論しても意味がないだろうことは、前評書の評に書いたとおり。
著者は人工知能をビッグデータの延長にあると考えている。これは当面の発展方向としては妥当だろうし、ビッグデータを使いこなす者が成功を収めるのは事実であろう。これを踏まえて、AIならぬIAすなわち Inteligence Amplifier によって人が賢くなることを予想し、人工知能がもたらす未来を楽天的に考え、「AIは仕事を奪わない」と主張する。しかし、どうなのだろう。シンギュラリティは夢物語だとしても、コンピュータがもっと賢くなったら、コンピュータをつかいこなす人と、コンピュータのコストを賄えない安い仕事をする人の二極化が進むのは避けられないのではないか。

コメント

  1. 山田 博英 より:

    人工知能と死との関係はどう作られるのだろうか。人はそれを死ぬように作れるのだろうか。人工知能はもともと人にとって何が良いから人工知能なのだろうか。

  2. 山田 博英 より:

    更に遡って知能とはそもそも何のために使われる必要があるのだろうか、地球を食い潰すためなのか守るためなのか?